■
病み病みな記事から、約3ヶ月が経ちました。笑
最近はちょっぴり元気です。
とりあえずは、この状態を維持するのが目標です。
明日は二次面接
記録
私は心が弱い。
そして気分屋。
プライドが高い。
ひねくれ者。
それらが、今の不安定な生活をもたらしてるのだと思う。
本当はもっと気楽に、楽しく生きていきたい。
でも、ある時ふと気分フッととよくない方向へ突き進んでしまう。
バイトを始められたおかげで、一番ひどかった時期に比べればだいぶ嫌な気持ちに襲われる日は減ったけど、それでも一週間に3度ぐらいやってくる。
きっと、それに耐えられれば、乗り越えられたら、私が目指す普通の生活に戻れるのかもしれないけど。それがなかなか難しい。
一度やってくると、とにかく嫌なことしか考えられない。
ひたすらにネガティブ。一度ネガティブが始まると寝て起きるまで、ずっと離れない。考え事が止まらなくて寝付けないし、本当に地獄。すごく、苦しい。この苦しいっていう気持ちも、甘えてるなって思うから、余計に自分が嫌いになって苦しい。
今日は、人間味がない自分に嫌になった。こんなのもう何十回も思ってることだけど。
人間味がないと思うのは、例えばみんなが楽しいと思えることを楽しめないこと。夏といえば海!花火!お祭り!浴衣!みたいな行事に、一切興味を持てなくなってしまった。水着買って、それを着て、暑い中塩水に浸かって、日に焼けて、人が多いところに行くのがめんどくさい。そのあとまた体を洗ったり着替えたり浮き輪とかの片付けするのもめんどくさい。花火だって、あんな人混みにわざわざ行って、火の粉を見に行こうと思えない。飽きそうだし。浴衣を着るのもめんどくさい。暑いし、歩きづらいし、足痛いし。浴衣姿を見てもらいたい人なんていないし。昔はそんなこと全然思わなかったのに。大人になるにつれて、冷めててひねくれててうざいやつになってしまった。そんな、なりたくなかったような、願ってもない自分になってしまっている。本当はこういう行事を楽しめるような人が心から羨ましい。ナイトプールとかだって、いろいろ言われてるし私もいろいろと思うことはあるけど、それでも楽しそうな彼女たちが羨ましい。幸せそうで。飲み会とかもそう。「かんぱーい」とか言ってインスタのストーリーにあげてる人見てイラっとしちゃうけど、でも、楽しそうで羨ましいんだと思う。私だって、人と遊んでる時は楽しいからインスタにあげる時もある。私だっておんなじ。誰かから見たら、もしくは鬱状態の自分から見たらウザい人。だから気持ちはよくわかる。インスタに日々の充実感を投稿する人の気持ちも、ウザいなって思ってしまう人の気持ちも。
なんであげるかって言ったら、やっぱり「幸せアピール」に行き着くんだろうなといまのところ思ってる。幸せな時は、あんまり幸せじゃない人のこと考えないもん。でも否定してるわけじゃなくて、「幸せ」っていうことを発信するのはいいことだと思う。私はそれが羨ましいだけなんですきっと。
こんな私みたいな人が周りにいたら嫌だよなあ。でも今はそんな基準さえわけわからない。だから、「私人間なのかな?」って思ってしまうわけだ。「楽しい」ってなんだろう?とか、「みんなよくこの世界を受け入れて生きていられるな」とか。バイトとかしてないから、そんなことを考える暇があるから考えてしまって、勝手に抜け出せなくなってるんだろうけど。
生きてることに疑問が止まらない。みんなこんなこと考えるのかな。私だけかな。なんかそんな気がする。悲しむ時も、ただ悲しむだけならいいんだけど、私の場合はそこに、なんとも言えない感情、おそらく「悲しんでる私って何?」「これは何?私って何?」みたいな、そういう感情が必ずくっついてくる。基本的に何してる時もそいつはいる。純粋に悲しむこともできないから全く前に進めない。人生なんて嫌なことばかりだ。幸せの絶頂を感じる時って、嫌なことを乗り越えた時。受験生が終わった、教習所を卒業できた、バイトを辞められた…。もちろんそれ以外にも嬉しい時や幸せなこともあるけど、とりわけ幸せを感じられる瞬間は何か嫌なことが終わった時。そんな幸せなんてなんか虚しくて、贅沢かもしれないけどそんな思いしないと幸せになれないなら、もういろんなことがどうでもいい。人間めんどくさい。
あと、趣味がなくなってしまったこと。音楽とか特にそう。2年前ぐらいまでは、邦ロック大好きだったのに。ライブやフェスも楽しめていたのに。今じゃほとんど聴かなくなった。いや、聴けなくなったし、ときめかなくなってしまった。そもそも、精神的に音楽が聴ける状態じゃない日の方が圧倒的に多くなってしまったから。たまたま気分良く過ごせた日に聞く音楽の幸せさといったらすごかった。アップテンポの曲を聴いて、ちゃんと歌詞とかしっかり聴いて、元気もらえたりする瞬間は感動する。「音楽を聞きたい」と思えることがまず幸せなのだと私はその時気付いた。そんなこともあって今では、精神的レベルを「音楽が聴けるか聴けないか」で判断してたりする。鬱が来たな、って思っても音楽聴ける日は全然大丈夫。まだ元気。でも音楽を聴きたいと思えない日は、黄色信号か赤信号。そういう時はもう鬱の中にいて、抜け出せなくなっている状態。何にもやる気が出なくて何もしたくないけど、無理やりお笑いとか見て元気を出したりはしてる。効果はあったりなかったりだけど・・・。
あとは、何に対しても本気になれないこと。何もかもがにわかで、極めたいと思えることがない。それと就活が絡んでるから辛い。就活とかインターンを考えられるスペースが脳の中に準備できてない。私はどこかで世間と足並みを揃えたいと思ってるらしいことに最近気づいたから、就活はしなきゃやばいなって思ってる。本当は、本当の理想は、自分のやりたい!!って思うことを貫き通すことだけど。キングコングの西野さんみたいに。でも私はそう思えることが大学3年間通ってて何もなかったし、実行できる力も多分ない。周りと比べても圧倒的に行動力がなさすぎる。というか、うまくいかなかった時のことしか考えないからまず勇気が出ない。基本的に鬱だからやる気も出ない。就職について、高校受験や大学受験のような危機感はあるけど、向き合う気持ちが全然ない。全くやろうとしない。いや、昔は仕方なく受け入れられてたから。なんでかっていうと、高校では「文化祭がしたい」大学では「美大に入りたい」っていう夢があったから。それに向かって必死に頑張れる自分がいたから。強くそう思てたし、くらいつけてたから。でも就職は違う。目標が何もない。どこにも向かえない。前のようなやり方ではダメなのかもしれない。考え方を変えないと。だから困ってる。
午前中、充実した!と思えた日に限って、午後に何もできなくて鬱になりがち。せっかく午前中、早起きして珍しくジョギングだってしたのに。午後はご飯を食べに行っただけ。何も生産しなかった。
まぁ、厳密に言えばご飯を食べに行っただけではないけど。天声人語もやったし、やっとメールも送れた。それは良かった。でもそれは夕方の出来事。すっかり夜になってしまうと、その達成感や充実感はあっという間にどこかへ行ってしまう。
天声人語だって、本当はこんなことやってる場合じゃないんだろうかって思ってる。暇じゃないとできないし、現にいま暇してる自分がすごく嫌。この時間にバイトすればいいのにって。この前、天声人語を書き写してたら弟に「暇だね」と言われたのが意外と刺さっている。そうだよ、私はバイトをするべき時間を天声人語に費やしている。SPIの勉強はせずに、天声人語だけ。とりあえずそれをこなせば「何かをやった感」が得られると思ってたから。もちろん、最初はその実感があった。学んでるな・・・!って思えて良かった。
ゲームに楽しさを見出せない。スマホゲームもだし、今流行ってるスプラトゥーンもたぶん楽しめない。ある程度やると、やってる意味がわからなくなってしまう。
学ぶことの方が好きなのか、それをしていないと焦るのか。
ゲームやりすぎると嫌な気持ちになるからか。
最後までクリアするという根性がないのか。いつか純粋にゲームを楽しんでみたいなあ
今日授業の関係でメールをしたデザイナーさんも、大好きなデザイナーさんなのにイマイチのめり込めない。気合いはじゅうぶんなのに。
そもそも何が好きか、自分の中で明確にしていないことが原因なのかもしれない。なんで好きなのかは、イマイチよくわかってない。なんとなく好き。
うーん、デザインは好き。映画も好き。カフェも好き。電車も好き。好きなものはたくさんある、けどのめり込めない。
アートは嫌い。いや、わかんない。最近拒否反応がすごい。大学は好きだけど学科はあんまり好きじゃない。学校ではないどこかにすがりたい。やりがいを見つけたい。それがない。結局は環境が悪いのか。とも思うけど、自分のせいだとも思う。もう、その辺もどう考えていいか全然わかんない。私は極端だから、ちょうどよく自分の都合の良いように考えられないからなのかもしれない。
よっぽど、小学校とか中学校の自分の方が自分の軸を持って生きてたから羨ましい。
私が人間として尊敬しているある先輩さんとサシ飲みした時、人に合わせてるのが染み付いちゃってるのがバレてた。自分でも自覚はあるし、八方美人でいるのは良くないって思ってる。嫌われる勇気も必要だって分かってはいる。
でも、どこまでみんなに合わせて、どこまで自分の思うように動いたらいいのか、境界線がわからなくなってしまった。本当に本音で話してしまったら、誰かを傷つけてしまいそうで。私に関わる人みんな。誰もこんな私を受け入れるわけがない。(染み付きすぎてあまり自覚はないけど、)偽りの自分でいないと、友達がいなくなるかもしれない。いや、いなくなる。つまりは私は友達がいなくなるさだめなのか。
飲み会の終わり側に「ごめんね!もっと面白くできればよかったんだけど!今度はみんなで行こう」と言われてかなりショックだった。私は話せて楽しかったのに。「今日の飲みの終着点が見つからないなぁ」とも言われてしまった。そうか、この人と話す時はしっかり何かしらのオチをつけないとなのか、レベル高いなとびっくりしたと同時に、また中身のないつまらない話しかできなかったことが証明されてしまった。ああ、また私は、私といてもつまらないと思われてしまったのだなと。その時に限らず、飲み会とかに参加するといつもそう。大人数で行くと特に、会話も雰囲気も楽しめない。だから飲み会に行くのが苦手だしずっと怖い。でも、なんとなく仲間外れにされるのは嫌だしみんなと楽しみたいとは思ってるから厄介だ。
バイトみたいに、無理やり予定を入れなきゃ私は変われないのかもしれない。すでにある用意された環境に飛び込むことでしか。
工場以外の、飲食のバイトして、知らない世界を知った。多分世の中そんなことばかりだと思うし、その中には今回みたいに面白いこともあるんだと思う。
私は、世間体的にバイトをしなきゃいけないことに囚われてるのかもしれないし、(かと言ってお金がないと何もできない)嫌いな学科(の方針や教授)に囚われてるのかもしれないし、ただ単に新しい場所に行くのが嫌なのかもしれない。どちらにせよ、今はすごく視野が狭い。
それだけの日
こんばんは、73日ぶりです。
ステキン(すてきな金曜日)
21日(金)は、授業が2限で終わりなので、
書と現代アート
今日の放課後は、昨日から少し気になっていた「書と現代アート」という課外講座に友達といってきました。
(エレベーター前に貼ってあったチラシ)
(ブレブレ)
先生は私の大学の非常勤講師をしているらしい、アーティストの藩微さん。
入り口で新聞紙と半紙と筆と墨汁をもらい席に着きました。
そして先生がアーティスティックな字を書くポイントを「夢」、「康」という字を用いてレクチャーしていただき、自分の席でもその字を書いてみることに。
この課外講座に参加した学生は20人ほどだったのですが、1人ずつお手本の字を書いてくださいました。
「夢」
「康」
いやぁ〜、なんて素敵な字でしょうか…
絶妙なリズムとバランスで本当かっこいいです。
半紙を横に使うのも、ザラザラな面を使うのも意外でした。
でもだからこそ空間を意識できたり、味のある字が書けるんでしょうね。
「康」なんてまさに、空間が生きたかっこいい字になっています…
私も真似してたくさん書いてみましたが、結構、いや相当難しい。。。笑
唯一お気に入りなのはこれぐらいです。
うーん、どうなんでしょう(笑)。
とにかく学んだことは、書くときには強弱をつけたり、一画ごとに指を動かしたり、墨は付け足さずに一気に使ったり、文字をしっかり交差させたりすること。
二度書きもしていいし、何より引きながら書く、という感覚が新鮮でした。
最後に色紙に書いて、1時間半の課外講座(ワークショプ)終了。
私が筆を持ち、先生が動かしてくれました(笑)。
新しいかたち!うれしいです!
最近、アート全般に苦手意識を持っていて今回の課外講座も行く気ではなかったのですが、友達に誘われて行って、結果おもしろかったのでよい刺激になりました!
というか楽しかった!
いつかこの技法をマスターしたら、やきとりのメニューとかスラスラーっと書いてみたいなぁとか思いました(笑)。
おまけ
あの二文字だけを書いているのに飽きて、「本」の字も書いてみました。
なかなかお気に入り(笑)。
ではでは、また元気があったらのんびり更新します。
睡眠は大事